私たちについて
大切な地元だから護りたいこと
ヒコズデザイン は Yesマンではありません
プロフェッショナルとして「結果」のために最も優れたコストパフォーマンスを考えます
本質に沿っていない企画、結果に向かわない専門性の無いアイデアには従いません
「儲け」を棄ててでも地元の未来の為に「設計」し続けます
ストーリー
地元はイベントで溢れかえっています。 多すぎです。
そしてその殆どが専門性のある広告代理店や制作会社と言った所謂"プロ"が手掛けていません。
(注:広告代理店でも制作会社でもピンキリです!!この場合しっかりと実績のある組織を指しています)
「プロ」ではない”一部の人たち”の企画に予算が使われています。
私は長年専門業界で監督として過ごしてきたので、あまりにも本質に合ってない企画やアイデアが地元では過ぎ去って行く現状に大きく驚いています…。残念ながら、多くの人は地元で何が行われているのか知りません。また、興味すらなくなっています。 それは度重なる無駄撃ちの「企画」のせいでもあります。 『狼少年現象』とでもいいますか…。 決して「嘘」では無いですが、広報のポスターのデザインや「綺麗事」のコピーに、内容が合っていないイベントを多く見かけます。 当然「結果」は出ません。(「結果」を何に設定してるかですが) もしそれらに公金が使われているとしたらどうでしょうか? 我々の血税が、命に関わる本当に困っている所に回せるはずの税金が、そのイベントに使われていたら?
当日"人が集まりました””賑わいを生みました"は、その大切な予算に見合った結果を出せているのでしょうか?
我々プロは、失敗は収入に直結します。 そうした競争の中「イベント」は発展してきました。
ディズニーリゾートは「公」でしょうか? 「綺麗事」でしょうか? 「ボランティア」でしょうか? そうじゃ無いなら「悪」なのでしょうか? それよりも我々は「公金の無駄使い」の方がはるかに地元の未来を壊していると感じています。
例えば「未来の為、勉強のため、経験のため」に「失敗してもいいじゃ無いか?」と言えるのは、部活や自らのお金を出している人のみです。 それを「公金」でやるべきでは無い。 百歩譲ってどうしても「企画」に税金を使うなら、勉強して失敗して経験して身につけて、結果が確実に出せるようになった組織に出すべきじゃ無いでしょうか? それくらい「公金」は尊い貴重なものなのです。 おばあちゃんのために道に椅子が一つ増える方が公金の使い方としては良く無いですか? 儲けが出るような企画では無いから。 でももし「儲けが出せる」「自走できる」なら、公金は使う必要はありません。その分儲けにならなくても誰かを助けられる事には使うべきと思っています。 ちなみに「賑わい」や「喜び」は、綺麗事じゃなく「経済」を回すことも重要です。 良い例が「ディズニーリゾート」などですね。 競争がクオリティを上げます。
モチベーションや追求心を求めるなら、その競争社会を目指すでしょう。
本物を求める人は外に出てしまい、帰ってこない事も多く、地方における人口減少も加速しています。
その一つの要因として、地元だけの狭い偏った考え方や、わるい「流れ」かと思います。
それに気づく人、このままでは通じないとわかった人は、当然外に出ていきます。
逆に、他所では通じない人でも寄ってきます…。